史跡

縁むすびの福授観音

縁むすびの福授観音は、通称「いぼ観音」と呼ばれる石造の聖観世音菩薩像です。寛文6年(1666年)10月18日、上総国望陀郡飯富庄台宿村(現在の袖ケ浦町代宿)の女性40人が、現世の平和と来世の善処を祈り、財を寄せ合って造立された、まごころのこもった観音像です。

本多忠相公

本多忠相(ほんだただすけ)公は、慶長4年(1599年)に下総国下篠郷(現在の香取市)で生まれました。徳川四天王の筆頭・酒井忠次の孫、そして本多康俊の次男として家系を継承。大坂の陣両陣で父や兄と共に活躍し、その武勇により元和2年(1616年)に三河国碧海郡西端村(現在の碧南市)に陣屋を構え、1000石の領地を賜りました。
 
忠相公の活躍はその後も続き、上総国と下総国内で2500石、碧海郡で1500石を加増。さらに、寛永元年(1624年)には下総国香取郡に500石、寛永5年(1628年)と7年(1630年)にも石高が増えました。その結果、寛永9年(1632年)に書院番頭にとなり、翌年には安房国と上総国内で3000石を賜わり、合計8000石の上級旗本に昇進。現在の千葉県の一部を統治することとなりました。 

 また、寛永15年(1638年)には徳川幕府で初めての検地を実施し、明暦2年(1656年)には留守居役に就任。そして寛文12年(1672年)には長男の忠将に家督を譲り、天和2年(1682年)に84歳で天寿を全うしました。